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横浜家庭裁判所 昭和63年(家)369号 審判

申立人 養父となる者 井上良男

申立人 養母となる者 井上松子

事件本人 養子となる者 井上浩和

事件本人 養子となる者の母 松下カヨ

主文

事件本人(養子になる者)を申立人らの特別養子とする。

理由

一  本件記録によれば、次の各事実を認めることができる。

1  申立人らは、昭和49年1月19日婚姻した夫婦であり、いずれも現在において25歳以上の者である。申立人らは、婚姻以来、子供に恵まれなかったことなどから、昭和58年10月○○○○児童相談所を通じて里親の登録をし、同年12月10日同児童相談所から事件本人(養子になる者)(以下、「浩和」という。)を里子として申立人らの自宅に引き取り、以後、浩和を養育し、昭和61年11月13日当庁に浩和との養子縁組許可の申立てをし、同年12月1日これを許可する審判がされたため、同月8日浩和を申立人らの養子とする旨の届出をし、昭和62年9月26日制定された民法等の一部を改正する法律(昭和62年法律第101号)の施行後の昭和63年2月8日本件申立てに及んだ。

2  申立人(養父になる者)は工員として会社に勤務し、申立人(養母となる者)は浩和を引き取った後は家事と浩和の養育に従事している。同夫婦は円満であるうえ生活面、経済面において安定している。そして、申立人らが浩和を引き取った後の申立人らの浩和に対する監護の状況は、良好であり、このことは、同児童相談所の申立人らに対する委託後から本件申立て時までの約4年2か月間及びそれ以降の観察をした記録により明らかである。

3  事件本人(養子になる者の母)(以下、「母」という。)は、昭和37年6月19日杉本良一とツタエの長女として出生し、幼いころツタエが死亡した後は、その父に養育され、その後高校に進学したものの、病気がちのため高校を中退した後、その父の仕事先でアルバイトをして生活していたものであるが、当時17歳であった昭和54年10月ころ見知らぬ男に無理やり姦淫されて妊娠し、これを父、友人には連絡することもせず、かといって所持金がなかったことから中絶をすることもできないまま、浩和を出産したが、母及び親権代行者たる母の父には、その出産当初から浩和を養育する意思がなく、浩和が出生したことは外部には絶対秘密にしたいという意向を固めていたうえ、母が浩和を監護養育していくのには経済的に極めて困難であったことなどから、昭和55年7月12日母の父が同児童相談所に浩和を里子に出すための相談に訪れ、その結果、浩和は、同児童相談所の措置により同年7月16日○○○ベビーホームに預けられた後、昭和58年1月27日○○○○園に預けられ、その後、里子として申立人らに預けられた。そして、母は、昭和61年5月24日○○○と婚姻して同人との間に子供をもうけており、本件特別養子縁組に同意している。以上の各事実を認めることができる。

二  以上の認定事実によれば、申立人らにつき、本件特別養子縁組の障害になる事由はなく、浩和についても本件申立て当時7歳であるが6歳に達する前から申立人らに引き続き監護されている者であるうえ、母による浩和の監護は、申立人らと浩和が普通養子縁組をした当時は著しく困難であったということができ、もし、その当時特別養子縁組制度があったならば申立人らと浩和との特別養子縁組は容易に認容されたであろうということができる。そして、申立人らは浩和が普通養子縁組をした当時は、特別養子縁組制度がなく、したがって、申立人らに特別養子縁組申立てを選択して行う余地がなかったものであることを考慮すると、その普通養子縁組をした当時に既に民法817条の2の要件を充足し、上記改正民法の施行後、遅滯なく、さらに同じ当事者間で特別養子縁組申立てがあった場合は、現在においても同条の要件を充足しているものと解するのが相当である。しかも、上記認定の各事実から考慮すると、本件につき、特別養子縁組を成立させることが子の現在及び未来の福祉の確保とその向上のため必要不可欠ということができるのである。

よって、本件申立ては、理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 伊藤茂夫)

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